自分にとってはターニングポイントだった
昨日の続き
初めてのヨーロッパは当然だけど右も左もわからないことだらけで、
私は妹と一緒でほんと安心だったよ。
1日目、2日目と経って、3日目くらいだったかな。
私はその日も妹の背中を追いかけて歩いていた。
だけどこの日はなんだかモヤモヤしている。なんだかモヤモヤモヤモヤして楽しくない。
なんだろう、なんでかな、、、。
そして、
ハッと気がついた。
ジブンデ、アルキタインダ。
ダレカノ ウシロヲ オイカケルンジャナク、、、。
怖くても、ドキドキしてもここに一人で来るまでの方がずっとワクワクしていたよ。
こんな手取り足とり誰かに頼っていたくはないんだ。
この時、生きてきた40数年のモヤモヤが全部、スーッと霧がはれるように
前途がキラキラとした気がしたよ。大袈裟でなく。視界がひらけたって感じ。
ヘレンケラーがこの世の中に言葉が存在するって理解して
ウオーウオー !! (Water water !! )
って叫んだ時と同じくらいの衝撃。
ずっとしっかりしてるって言われてきた。助けが必要そうにみえないって言われてきた。
でもそれがずっと嫌だった。
私だって甘えたい。好きでしっかりしてるんじゃない。
(誰も助けてくれないから) しっかりするしかないじゃない。
そう思っていたけれど、実は 「なんでも自分でやりたい人間」だったとそこで気付いた。
どうりで茨木のりこさんの “倚りかからず” っていうあの詩が武者震いくるほど好きだったわけだ。
だけど今頃こうした経験をしてやっと気がつくなんて、なんてどんくさいんだろう。
なんて自己憐憫の塊だったんだろう。
とは思ったけれど、
甘えられない損なワタシ
っていう縛りからやっと解放された時だった。
自分でするしかないから、やっている
というのと、
自分のことは何でも自分でできている、しようとしている 、したいんだ。
って同じようで
ゼンゼンチガウ
ほんとの自分に気がついたこの日が私のターニングポイント。
ちなみにこれに気付いてから、人に甘えるのが楽になったよ。変だねぇ。