静かに穏やかに暮らしたいだけ

あとはもう、ゆっくり静かに自分のペースでやっていきたい。っていう日はまだ先。

病の原因

悲しみと不安で押しつぶされそうになっても、
人は時間とともに希望を見出そうとする


暗がりの中で光を探す


決めつけない、決めつけない


もうだめだと誰がわかる?


そんなこと、誰にもわかりはしないのだ




それからの私は余命宣告を受けながら何年も生きたという方たちの書籍を片っ端から読み漁った




“病気という結果を引き起こした原因をまずは考える”



そうだ、確かにその通り


いくら治療を進めても原因になったであろうことをやめない限り、


いっときの対処療法にしかならない



夫は何が悪かったのだろう


ストレスはこの現代社会、サラリーマンとして生きてきて、ないはずがなく


それでも夫はもともとマイペースでいい意味で鈍感力のある人で、


そこが決定的理由には思われなかった



絶対にこれ!というのは難しいだろうけれど、



生活習慣を振り返れば、やっぱり食事だ



昼食は毎日ラーメン どれほど毎日はやめてと懇願してもむだだった


夕食は、自称健康オタクの作る私の食事だけでは飽き足らず、


会社帰り毎日スーパーによっては


フライや刺身、添加物たっぷりの明太子、佃煮やらを並べては


食卓の前で、お尻が椅子と一体になってしまったかのように、
長々といつまでも食事をしている人だった



あ、もちろんビールもね


毎日500を二缶 もっと昔は瓶ビール大瓶3本って時もあったね 寝る前に焼酎


休日は三缶


いつのまにか禁酒日もなくなって



食事がすめば寝る間際までスナックタイム 自分で買い込んできてストックして、


お腹が一杯になってもまだ食べていたい人だった




何年か前、腸は賢く脳はバカ というような本が出ていたように思うけど、


お腹はもう一杯になっているのに、


脳は “食べることイコール幸福 “ だと思い込み、


まだまだ食べられるよーって。


お腹からの


「もう終わりたいでーす」


っていう信号をシャットアウトしていたんじゃないかというほど、よく食べた



いわゆる大食家


食べるの大好き


食べない人生なんて意味ないぜ



そういう夫



私がやっぱり食生活も(原因として)大きかったんじゃない?というと


「そんなエビデンスはありません」


って言い返すけど




この飽食の時代の中、農薬やら食品添加物やらの世の中で、


大食家でいるのは “リスク”がともなうのだ


もちろん、これが絶対かはわからない



でも、



起こったことの原因を考えるのは、


過去を消極的に振り返ることではなくて


未来を見すえているからこそ行うことだ